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2009.04.06 Monday | - | - | -
0点の方がスリル満点
コラムのブログ化作業に伴い公開が少々遅れました。祝ブログ化!本ページとの距離が少し遠くなったような気がしてしまいますが、直接のコメントが出来る模様なので、どんどんとお寄せいただければと思ってます。

■足繁く通っているHMVの《japanese hip hop》の棚が移動しているのにこの間気づいた。いつからかは知らない。加えて今まで縦置きだったのが横置きになっていて、いちいちアーティスト名で探して引っ張り出さなければタイトルが確認出来ないので、非常に買い物がしづらい。しかも多分スペース自体も狭くなっている。横置きっていうのは俺が勝手にそう読んでいるだけなんだけれども、通常の本棚の様にタテにして並べて置いてあるのではなく、ちょうどレコードショップの12インチのような陳列方法。12インチは大きくて薄いのでバサバサと繰る事が出来るけれど、CDはちょっとした事でヒビが入るプラスチック・ケースで、しかも縦横それぞれ僅か12センチ。神経質な作業が要求される。店のフンイキは華やかになるけれど一瞥しただけでタイトルが確認出来るのは各段最前面の商品だけ、目当ての商品が見つからないと『探し方が悪いのか?』と不安になる。とにかくクソ不便で、これではCDのオビも何の役にも立たない。

■HMVが日本語ラップに下した判断だろうか。日本語ラップの棚をザーッと見渡して気になるものをピックアップするような買い物の仕方をする人が減った、と。漠然と日本語ラップに惹かれる人が減った、と。勿論そんなのはこの店だけで起こってる事なのかも知れないし、数あるジャンルのうち《japanese hip hop》なんていうミクロの括りで陳列がビミョーに弄られた事実がどれだけ店の意図を反映しているのか判らないけれど、新しいタイプのCD棚からは、何となく面倒臭〜いオーラが放たれている。

■しつこいようですが「日本語ラップ・シーンを盛り上げる」という志について、日本語ラップ・シーンが盛り上がりさえすれば良いというなら、語弊はあるだろうけれど、その低い理想は案外簡単に達成されるだろう。例えるならば、《同性にしか好かれない⇒同性を好きになってしまえ!》的なゲイ化の中で甘やかしあう作る側と聴く側。盲目な擁護者になりきる無様さを個人的にはCOMPASSに望まない。

■話によれば音楽全体が危機に瀕していて、生活全体の中で音楽が放つ魅力もそう強くはないらしい。勃起不全の日本語ラップが隠居して出来た穴を、ポジティヴに生きろとか、出会いの素晴らしさとかを歌う爽やかな青春パンク達が埋めている。

■SEEDAの"HEAVEN"は絶賛されている。確かにトラックも粒揃い、リリックもなかなかのもので、生活のリアリズムと響きの融合がいよいよ成功に向かっている感じがする。失敗が無い。"花と雨"のトラックが「引き算」みたいだと某所で評されていたけれど、更に"街風"を経たSEEDAの達観が加わった、"HEAVEN"の乾き。メジャーで一枚作り終えた後に自主、という流れから、3分前後の曲が13曲というサイズに至るまで、真っ当で正論。ビートとラップから成るヒップホップという音楽の性を良くも悪くも知り抜いている。身の程を弁えてしまっている。"HEAVEN"の、直接的には現れない「影」の部分だ。

■"HEAVEN"から学べる事として、ある意味で正解を出そうとすれば意外と出てしまう、という教訓があるんではないか。それを実践出来るスキルあるアーティストもかつてよりも数倍は多く居て、アーティストは職人的になって行く。それを気まぐれに我々が取り上げて記事に書く。模索の時代が終わり、皆が80点以上を取れてしまう。当たりも外れも無くなって行く。

■平均レベルの高い音楽が面白いかどうか。今首をもたげている退屈の正体って、実は質の「低下」じゃないのではないか。例えば、去年のMACKA-CHINの活動をワクワクしながら見守っていたのは、彼の作る音楽のクオリティが高いなどとは(本人には失礼だろうけれど)殆ど思っていない訳で、それよりはむしろ、いかに珍解答をフリップボードに書き込むか、という謎めいた努力が素晴らしいと思ったのではないか。後付けだけれど。

■音楽として質を高めるという発想は、楽器を基本的には用いなかった元々のスタートラインに多くの人がコンプレックスを感じていたからこそ出てきたものだと思っている。その発想でこれ以上同じ事を続けても退屈以上のものは生まれないと考えた方が良いと思う。そもそも質って何って話だけれど。"HEAVEN"なんかを聴いていると「正解」が見えているような気分になるけれど、気のせいだと思いたい。思わせてくれるような珍解答が出ると良い。何度も発言している事の繰り返しになるけれど、例えば日本語ラップとかを出発点にして、その地盤を歪めるような表現があって欲しい。歪めるべきでないのは自分の嗜好であって、文化そのものじゃないからだ。新しい尺度が生まれてこそ発展ってするんじゃないか。日本語ラップも音楽も街も日本も世界も、あるがままの姿では耐えられない。

文・歪R
2008.02.26 Tuesday | ジャムパン買って来い。今すぐ。 | comments(2) | -
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2009.04.06 Monday | - | - | -
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コメント
>例えば、去年のMACKA-CHINの活動をワクワクしながら見守っていたのは、

シーン全体について語ってる所にイキナリ超個人的な話だされても待て待て・・ってなる

I-DeAやBLのトラックは天才のなせる技だしシーダのラップも試行錯誤、努力の結晶であってその融合がなされたのはほんと奇跡だと思うし、案外簡単に出せた正解なんかでは決してないと思う。

それにもちろん正解なんてない。
正解が見えたような気分になるとかいう感想自体が潜在的にせよ「正解」を定義してしまっている顕れなのでは??
ってなんか茶々入れたくなりますが傑作を臆面もなく批判する人材は貴重だと思います
| . | 2008/02/28 8:19 PM |
コメントありがとうございます。

>案外簡単に出せた正解
まぁ、「案外簡単に出せた正解」という、別々の部分から言葉を合成されてしまうと困る訳ですが、奇跡的な作品であるという声には僕も賛同できます。で、正解というのは

例えば、日本人がヒップホップをやります。ヒップホップというフィールドで日本人である事、また音楽というフィールドで楽器を用いない事…出てくる要素という要素が、複雑過ぎます。それらの要素の最小公倍数を求めていた人々が今までブレまくっていた中で、今回それに限りなく近づいたのが「HEAVEN」なのかも知れない、という事です。

色んなレベルでの「正解」を俺が混同している箇所がありまして、反省してるんですが、「正解が見えているような気分になる…」この部分は仰る通り余計でした。だから、最小公倍数という意味での正解は存在する、という前提で、でもその正解は果たして先に可能性を生めるんだろうか?という疑問を投げかける形をとるべきだったのかも。ご指摘感謝します。

傑作や駄作という言葉にはそれこそ何の基準も無いので誰でも何とでも言えるのですが、僕は採点基準として、努力や試行錯誤といった美徳よりは、「どれだけ可能性を見せられるのか」を採用したいな、という事です。
| 歪R | 2008/02/29 1:00 AM |
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