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2009.04.06 Monday | - | - | -
胸糞悪さ
■『自分は芸術をやっているつもりでいるから、ヒップホップとして成り立つだけの地点で妥協している奴らが許せないのだ』という主旨の発言を、去年だったか一昨年だったか、あるアーティストがしていた。「ヒップホップという枠に囚われない」という使い古された決まり文句を出来るだけ好意的に解釈し、更に噛み砕いて言えば確かにこうなるのだろうなと関心する反面、《芸術》って便利な言葉だよなあ、とも思う。よくよく考えれば芸術という言葉自体にさしたる意味は無い訳で。

■芸術をやる、という理念の実体とは何か。例えばヒップホップが「芸術の域に到達する」ってのは何か。例えば「アートだね♪」で片付けられる感動に中身はあるのか。「アートな一日を過ごしました」と日記に書き付けた清清しさって何か。「アートな」という語句で何かあるイメージを想起出来てしまうのはどういう事なのか。

■理解出来ないものに直面した時に、人はアートであるとか、ちょっと頭を使ったものであればシニックであるとかアイロニーであるとか、何であるとか言う。僕も言うしライターも言う。女子アナも言う。芸術とかアートという言葉には、感動を装った無感動が見え隠れする。無数の不可解な、いわく「モダン」な不燃ゴミが立ち並ぶギャラリーでハウスだのクラブジャズだのが流れていた時、その音楽が抜け殻になっている事は容易に理解出来た。犯行現場は渋谷やら表参道やらに溢れている。

■芸術。そこには誰かが死に物狂いで自己表現を図る事を指す意味と同時に、のぺーっとした無関心の地平線が広がっている気がする。芸術という本質的に素敵なサムシングが存在するような気がしてしまいがちだが、実はそうではないっぽいのだ。

■「芸術なんか俺、興味ねぇ!!」

■EL NINOのFREEZは、DJ BAKUとの"B-BOY AWAKENING"という曲でこう言い切る。音楽は《芸術》の手法の一つだろうと、呑気にも我々は何となく考えがちだった訳だけれども、その《音楽》の中からFREEZは芸術にファックサインを送る。それはニヒルな論調などでは決して無く、《芸術》が語られる時の無感動を見抜いた上で、それを乗り越えて自己を表現しようとする強い意思から出た言葉だったのだ、と勝手に思っている。

■「どこの家にだって転がって」いるラッセンの様なシットに対し、FREEZはとりあえずゴッホであり、腐ってないで発狂しろとか、威張ってないで孤独になれとか言う。"B-BOY AWAKENING"は、《芸術》という言葉の意味の曖昧さに甘えるB-BOYをそこから引き剥がし、覚醒させ、強い表現へと向かわせる素晴らしい応援歌なのだ、と気付く。

■結局何であろうが自分の脳味噌のフィルターを通してウザいものはウザい。言葉にならない曖昧なもの、を何でもかんでも抵抗無く受け入れられる程多感になれない。むしろ死ねと思う事もある。他人の表現に対し、ココロの中にそういう破壊的な何かを抱く。そこで見る側と見せる側、相互にある程度の秩序づけが必要になってくる。それがアートという言葉で出てくる処のモノなのだと思う。放っておくと掴み合いになりそうなものを取り敢えずひっくるめておくためのフィールド。だからアートという言葉を突きつけられると、この上無く面倒臭い気持ちになってしまう。

■成人式には行きませんでした。吉祥寺に袴姿の少女(いや大人なんだけど)が溢れていました。何かあの、奴らが首に巻いていた鳥みたいなフワフワが全然可愛くなかったです。



文:歪R
(http://blog119.fc2.com/wanir/)
2008.01.19 Saturday | ジャムパン買って来い。今すぐ。 | comments(0) | -
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2009.04.06 Monday | - | - | -
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