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2009.04.06 Monday | - | - | -
0点の方がスリル満点
コラムのブログ化作業に伴い公開が少々遅れました。祝ブログ化!本ページとの距離が少し遠くなったような気がしてしまいますが、直接のコメントが出来る模様なので、どんどんとお寄せいただければと思ってます。

■足繁く通っているHMVの《japanese hip hop》の棚が移動しているのにこの間気づいた。いつからかは知らない。加えて今まで縦置きだったのが横置きになっていて、いちいちアーティスト名で探して引っ張り出さなければタイトルが確認出来ないので、非常に買い物がしづらい。しかも多分スペース自体も狭くなっている。横置きっていうのは俺が勝手にそう読んでいるだけなんだけれども、通常の本棚の様にタテにして並べて置いてあるのではなく、ちょうどレコードショップの12インチのような陳列方法。12インチは大きくて薄いのでバサバサと繰る事が出来るけれど、CDはちょっとした事でヒビが入るプラスチック・ケースで、しかも縦横それぞれ僅か12センチ。神経質な作業が要求される。店のフンイキは華やかになるけれど一瞥しただけでタイトルが確認出来るのは各段最前面の商品だけ、目当ての商品が見つからないと『探し方が悪いのか?』と不安になる。とにかくクソ不便で、これではCDのオビも何の役にも立たない。

■HMVが日本語ラップに下した判断だろうか。日本語ラップの棚をザーッと見渡して気になるものをピックアップするような買い物の仕方をする人が減った、と。漠然と日本語ラップに惹かれる人が減った、と。勿論そんなのはこの店だけで起こってる事なのかも知れないし、数あるジャンルのうち《japanese hip hop》なんていうミクロの括りで陳列がビミョーに弄られた事実がどれだけ店の意図を反映しているのか判らないけれど、新しいタイプのCD棚からは、何となく面倒臭〜いオーラが放たれている。

■しつこいようですが「日本語ラップ・シーンを盛り上げる」という志について、日本語ラップ・シーンが盛り上がりさえすれば良いというなら、語弊はあるだろうけれど、その低い理想は案外簡単に達成されるだろう。例えるならば、《同性にしか好かれない⇒同性を好きになってしまえ!》的なゲイ化の中で甘やかしあう作る側と聴く側。盲目な擁護者になりきる無様さを個人的にはCOMPASSに望まない。

■話によれば音楽全体が危機に瀕していて、生活全体の中で音楽が放つ魅力もそう強くはないらしい。勃起不全の日本語ラップが隠居して出来た穴を、ポジティヴに生きろとか、出会いの素晴らしさとかを歌う爽やかな青春パンク達が埋めている。

■SEEDAの"HEAVEN"は絶賛されている。確かにトラックも粒揃い、リリックもなかなかのもので、生活のリアリズムと響きの融合がいよいよ成功に向かっている感じがする。失敗が無い。"花と雨"のトラックが「引き算」みたいだと某所で評されていたけれど、更に"街風"を経たSEEDAの達観が加わった、"HEAVEN"の乾き。メジャーで一枚作り終えた後に自主、という流れから、3分前後の曲が13曲というサイズに至るまで、真っ当で正論。ビートとラップから成るヒップホップという音楽の性を良くも悪くも知り抜いている。身の程を弁えてしまっている。"HEAVEN"の、直接的には現れない「影」の部分だ。

■"HEAVEN"から学べる事として、ある意味で正解を出そうとすれば意外と出てしまう、という教訓があるんではないか。それを実践出来るスキルあるアーティストもかつてよりも数倍は多く居て、アーティストは職人的になって行く。それを気まぐれに我々が取り上げて記事に書く。模索の時代が終わり、皆が80点以上を取れてしまう。当たりも外れも無くなって行く。

■平均レベルの高い音楽が面白いかどうか。今首をもたげている退屈の正体って、実は質の「低下」じゃないのではないか。例えば、去年のMACKA-CHINの活動をワクワクしながら見守っていたのは、彼の作る音楽のクオリティが高いなどとは(本人には失礼だろうけれど)殆ど思っていない訳で、それよりはむしろ、いかに珍解答をフリップボードに書き込むか、という謎めいた努力が素晴らしいと思ったのではないか。後付けだけれど。

■音楽として質を高めるという発想は、楽器を基本的には用いなかった元々のスタートラインに多くの人がコンプレックスを感じていたからこそ出てきたものだと思っている。その発想でこれ以上同じ事を続けても退屈以上のものは生まれないと考えた方が良いと思う。そもそも質って何って話だけれど。"HEAVEN"なんかを聴いていると「正解」が見えているような気分になるけれど、気のせいだと思いたい。思わせてくれるような珍解答が出ると良い。何度も発言している事の繰り返しになるけれど、例えば日本語ラップとかを出発点にして、その地盤を歪めるような表現があって欲しい。歪めるべきでないのは自分の嗜好であって、文化そのものじゃないからだ。新しい尺度が生まれてこそ発展ってするんじゃないか。日本語ラップも音楽も街も日本も世界も、あるがままの姿では耐えられない。

文・歪R
2008.02.26 Tuesday | ジャムパン買って来い。今すぐ。 | comments(2) | -
胸糞悪さ
■『自分は芸術をやっているつもりでいるから、ヒップホップとして成り立つだけの地点で妥協している奴らが許せないのだ』という主旨の発言を、去年だったか一昨年だったか、あるアーティストがしていた。「ヒップホップという枠に囚われない」という使い古された決まり文句を出来るだけ好意的に解釈し、更に噛み砕いて言えば確かにこうなるのだろうなと関心する反面、《芸術》って便利な言葉だよなあ、とも思う。よくよく考えれば芸術という言葉自体にさしたる意味は無い訳で。

■芸術をやる、という理念の実体とは何か。例えばヒップホップが「芸術の域に到達する」ってのは何か。例えば「アートだね♪」で片付けられる感動に中身はあるのか。「アートな一日を過ごしました」と日記に書き付けた清清しさって何か。「アートな」という語句で何かあるイメージを想起出来てしまうのはどういう事なのか。

■理解出来ないものに直面した時に、人はアートであるとか、ちょっと頭を使ったものであればシニックであるとかアイロニーであるとか、何であるとか言う。僕も言うしライターも言う。女子アナも言う。芸術とかアートという言葉には、感動を装った無感動が見え隠れする。無数の不可解な、いわく「モダン」な不燃ゴミが立ち並ぶギャラリーでハウスだのクラブジャズだのが流れていた時、その音楽が抜け殻になっている事は容易に理解出来た。犯行現場は渋谷やら表参道やらに溢れている。

■芸術。そこには誰かが死に物狂いで自己表現を図る事を指す意味と同時に、のぺーっとした無関心の地平線が広がっている気がする。芸術という本質的に素敵なサムシングが存在するような気がしてしまいがちだが、実はそうではないっぽいのだ。

■「芸術なんか俺、興味ねぇ!!」

■EL NINOのFREEZは、DJ BAKUとの"B-BOY AWAKENING"という曲でこう言い切る。音楽は《芸術》の手法の一つだろうと、呑気にも我々は何となく考えがちだった訳だけれども、その《音楽》の中からFREEZは芸術にファックサインを送る。それはニヒルな論調などでは決して無く、《芸術》が語られる時の無感動を見抜いた上で、それを乗り越えて自己を表現しようとする強い意思から出た言葉だったのだ、と勝手に思っている。

■「どこの家にだって転がって」いるラッセンの様なシットに対し、FREEZはとりあえずゴッホであり、腐ってないで発狂しろとか、威張ってないで孤独になれとか言う。"B-BOY AWAKENING"は、《芸術》という言葉の意味の曖昧さに甘えるB-BOYをそこから引き剥がし、覚醒させ、強い表現へと向かわせる素晴らしい応援歌なのだ、と気付く。

■結局何であろうが自分の脳味噌のフィルターを通してウザいものはウザい。言葉にならない曖昧なもの、を何でもかんでも抵抗無く受け入れられる程多感になれない。むしろ死ねと思う事もある。他人の表現に対し、ココロの中にそういう破壊的な何かを抱く。そこで見る側と見せる側、相互にある程度の秩序づけが必要になってくる。それがアートという言葉で出てくる処のモノなのだと思う。放っておくと掴み合いになりそうなものを取り敢えずひっくるめておくためのフィールド。だからアートという言葉を突きつけられると、この上無く面倒臭い気持ちになってしまう。

■成人式には行きませんでした。吉祥寺に袴姿の少女(いや大人なんだけど)が溢れていました。何かあの、奴らが首に巻いていた鳥みたいなフワフワが全然可愛くなかったです。



文:歪R
(http://blog119.fc2.com/wanir/)
2008.01.19 Saturday | ジャムパン買って来い。今すぐ。 | comments(0) | -
ジャムパン的2007年の記録
■2007年は、数年前から聴き続けていた日本語ラップやヒップホップ、去年辺りから聴き始めたオリタナティヴ・ロックっぽいものに加え、意識的に今まで聴いた事の無いものに新旧問わず触れてみようと頑張ってみた。そりゃもうわざとらしい位に。そんな訳で、一つの文脈で1年における何かを結論する事は出来ないのだけれど、1年分の発見を出来る限り詰め込んで記録しておこうかと思います。

■キリンジは今月25日に配信される"家路"をもって、デビュー10周年のプレ・アニヴァーサリー企画《キリンデー》シリーズ(7ヶ月連続、配信限定で曲をリリースするという21世紀的な試み)を締め括る。昨年の秋から着々とキリンジのアルバムをTSUTAYAで漁り続けていた私の最大の音楽的関心事は、今日まで常にキリンジであり続けた。今やキリンジコミュのネタトピック《こんな新曲は嫌だ!》トピの常連になる三歩手前である。探すのはやめて欲しい(っていうか普通に見つかる)。

■前述《キリンデー》でリリースされ続けた楽曲達は、エレクトロだのAORだの、彼らの興味の赴くままに選び抜かれた要素を乱暴に記号化して組み合わせて行く、危険な実験精神から繰り出されるライト級ジャブの連続だった。音の構成自体はシンプルでありながら、活動初期に少なからず拠り所としてきたAORという要素を、"タンデム・ラナウェイ"のわざとらしさでいとも簡単におちょくってしまう辺りにデビル堀込を見た思いがして、ワクワクした。これは冨田恵一のもとを離れてから、"Home Ground"(兄ソロ)〜"Dodecagon"と、駒を進める毎に次第に顕著化して来た傾向だと思う。《音楽性の記号化》は、打ち込みというツールに着目して彼らが得た、大きなヒントの一つだったのではないかと思う。

■ポップスついでに、2月にリリースされていた安藤裕子の"shabon songs"も素敵なアルバムだった。歴代の女性シンガーソングライターの亡霊が随所で憑依する前作に比べれば圧倒的に自然な形で新しいカラーを打ち出せている作品だったし、そうだという事が、1曲目"手を休めてガラス玉"が始まった瞬間に読み取れる。"雨唄"のラップっぽいところとか"Sucre Hecacha"には何とも云えない萌えを感じるし、それでも"The Still Steed Down"と"唄い前夜"の歌詞から時間感覚のオトナさ(だってもう30ですから)が垣間見えると、なるほど萌えている場合ではないとも思わされ、そのバランス感覚に、歪Rはほとんど擬似恋愛をしていたと言っても過言ではないだろう。

■個人的に、密かに2007年の最優秀作品ではないかと思っているのが、以前コラムでも紹介したMakkenzの"白くなる時刻"である。日本のラッパー達は、最近特に楽天的に言葉を選ぶようになった印象がある(背景として彼らが楽天的ではいられないような状況におかれているのかも知れないが)。そう考えると、言葉の本質に触れようとするような作品、もしくは触れ得るようなパワーを持つ作品も最近は少ない。「言葉にはならないものを表現」するというコンセプトを設け、その過程で言葉を使いまくるという矛盾した形を曝け出すMakkenzのこの作品の構造は、かなり斬新なアプローチだし、その他コラムでも触れたような異化による破壊、関連づけの暴力性も含め、大変面白いアルバムだった。

■Macka-Chinのアルバム、及び追ってリリースされた映像作品は、恐らくそう主張するのは信者だけだと思うが、素晴らしかった。春休みのベトナム旅行の計画がモチベーションの低下で頓挫し、やりきれぬ気持ちのまま東京(つーかむしろ神奈川)で学生生活を送っていたので、ところ構わず三味線を掻き鳴らし、カメラを構え、その様が傍から見れば明らかに浮ついた観光客にしか見えないものだとしても、物怖じせずにひたすら旅を続け、一つの映像作品を作り上げたこの男の俗っぽい生き様、そしてラストに浮かび上がる"ENJOY YOUR LIFE"のテロップに、私は大いに感動し、元気を貰った。

■Tha Blue Herbのアルバムは、"Phase 3"で煽ったアグレッシブさへの期待をさっぱりとスルーした仄暗さに包まれていた。興味深かったのはその音質で、あんなに尖ったイメージだったO.N.O.のトラックのドラムの響きが非常に耳当たりよく、適度な重みでストンと鼓膜に落ちてくる。この独特の心地良さを、恐らく昨年のMJPのアルバムも目指していたのだろう。結果、音質面においてMJPはラップが聴こえづらいだけとなり失敗、兄貴分にあたる彼らTBHが綺麗にそれをやってのける形となった。これを経験の賜物とするならば、"Life Story"なんて仰々しいタイトルのアルバムを出している事もさほど鼻につかない。

■私事で恐縮だけれど、夏には半年強作り続けていたアルバムが完成し、人知れず達成感を噛み締めていた。これを作っている途中、たまたま手に取って聴いていたPAM(ミズモトアキラ)の"Journalized"というアルバム(リリースは去年)は、そのパーソナル感、というか、己の孤独をとことん美化して昇華させたような作風に何故かひどく感動させられ、くじけそうな時の励みになった。パーソナルな音楽を作る上でモチベーションの維持はひどく難しい、という事が身に染みて判った一年だった。

■ミクシィの日記を通してEccy氏のトラックを1年ほど前から頻繁に耳にしていたので、"Ultimate High"はあまりの話題沸騰ぶりに正直吃驚だった。何やらカップリング曲のピアノ・ループが災いしてか、Nujabesの影響を批難する声が一部で上がっているらしいが、ズージャーで美メロであるという点だけを論っての指摘なら的外れと云うべきだろう。あるぱちかぶと・シマダカズユキの2名のラップと素晴らしいバランスを織り成すこのトラックのジャジーさは、ある種の神秘性を求めるNujabes的なジャジーさよりも、圧倒的に「日本のサブカル」的である。

■Radioheadの"In Rainbows"は、CDではなく彼らのホームページでリリースされた。価格は「up to you」。目玉が飛び出るような額を入力して支払う事も、無料でアルバム一枚分をまるごと入手する事も可能、という前代未聞の形式が話題を呼んでいた。幾ら支払うべきかと深く(具体的に云うと7秒くらい)悩んだものだが、結局自分は今までリスナー倫理を遵守しているようなツラをしながら、ただただアーティストやレコード会社が要求する額に物欲で服従していたに過ぎないという事が判った。それに今年は特に色々あって、「シーン」に賽銭を投げ込む事に生きがいを見出している人間には見飽きていたので、ここはひとつ無料ダウンロードに踏み切る事にしようと決めた。そう、今作で発生する彼らの利潤のうち殆どは幾千万もの後ろめたさで出来ているのだ。

■しかし、Radioheadがこのリリース形式で成功を収めた途端、第一線にいるようなバンド達(Nine Inch Nailsとか)が大々的に後乗りして行く屈託の無さには頭が下がる。勿論Radioheadが提示した新しい音楽の取引の形を肯定する姿勢の表明なのだろうけれど、アレくらい素直に後乗り出来なきゃカッティング・エッジには立てないという訳か。

■その他、2007年リリースの印象的だった作品は以下の通り(アーティスト名順)。

アルバム
・4ce Finger + DJ Quietstorm "Japanese Alien Human Being"
・Aquarius "One Drop"
・Coltemonikha "Coltemonikha 2"
・Feist "The Reminder"
・Killer Bong "Last MPC"
・Moka Only & Numata "Moka Only vs. Numata"
・Seeda "街風"
・THC Crew "Tokyo Hoya Callin'"
・Tommy Guerrero "Return Of The Bastard"
・Twigy "Akasatana"
・東京事変 "娯楽"


・DJ Baku "B-Boy Awakening feat. Freez"
・Garble Poor! "The Other Side"
・Goodings Rina "大都市を電車はゆく"
・Nitro Microphone Underground "Special Force"
・Omar Rodriguez-Lopez "Please Heat This Eventually"
・Tha Blue Herb "Phase 3"
・Tha Blue Herb "この夜だけは"
・椎名林檎×斉藤ネコ "ハツコイ娼女"
・鈴木亜美 "それもきっとしあわせ"

■メリークリスマス。良いお年を!



文:歪R
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2007.12.18 Tuesday | ジャムパン買って来い。今すぐ。 | comments(0) | -
大概オッサンなのに
■たまたま手に取ったKleptimaniacのミニアルバム("Choose Your Smoke Type")は、そーんなに目立ったサービスもせず、彼女の個人的なツボのノイズやらアンビエントやらが過剰に低音フィーチャーなビートの中でうごうごしているインストゥルメンタルだった。それでも今このミニアルバムを流しっ放しにしているのは、何となくアクセスしてみた彼女のホームページに散らばっているアートワークに見惚れていたら、ある時急にこの音源までもが恐ろしく格好良いものに聴こえ始めたから。

■この音源を耳にしているかどうか、それはここでは特に重要な問題でもないけれど、念のためKleptomaniacの紹介をしておくと、Think Tank率いるブラックスモーカー・レコーズの一味(現在はWAGINASSというグループでの活動が主なようだが)。ブラックスモーカー関連作品のアートワークを数多く手掛けていたりする人(あとはHP参照:http://www.kleptomaniac.jp/)だが、その一方でトラック製作も行っている(リズムの歪さは勿論まず真っ先にKiller Bongを想起させるが、キラボンが音像への神経質な拘りを時折垣間見せるのに対し、割かしあっけらかんとした作風だと感じた)。

■最も魅力を感じたのは、彼女が音楽以外にも複数のアウトプットの手段を持っているという事(本人にしてみれば失礼かも知れないけど…)。よく「マルチな才能」という言葉で片付けられる事柄だけれども、時々重要な効果をもたらす事もある。

■音楽が単なる音楽なのではなくて、音楽外的なもの…例えばKleptomaniacの場合は絵だったりする訳だけれど、そういうものがある中で、音楽が相対的に輪郭を持ったとき、異様に格好良く聴こえる。例えば身内が音楽をやっているのを目の当たりにした時に「お、スゲー!」と思う(クオリティはある程度度外視出来る)、この時にも同じ現象が起こっている気がする。その人の生活ぶりやヒトとなり、その他諸々を知っていればこそ表現の輪郭がつかめるというケースがある。

■生活感の話は何度かコラムでもしているけれど、ホモッ気ものぞき趣味も無い自分がなぜヒップホップに滲み出る「生活感」なんぞに惹かれるのか、ふと不思議に思った事がある。歌ってるのが20代半ば〜30代前半(個人的なストライクゾーン)の可愛らしい女性ならばまだしも、ラッパーなんて大概オッサンなのに!

■そのヒントもきっと、今述べたような部分にある気がしている。いかにバックグラウンドを上手く切り取って見せるか。それが成功している場合の魅力を今まで「生活感」という言葉で呼んできたのだけれど、要するにそれは、表現に輪郭を持たせる一つの方法なのではないかと思う。欲を言えばそれが衒いなく自然に成功していて欲しい。常に音の事だけ突き詰めて行く事が説得力を増すとは限らないのかもね。



文:歪R
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2007.11.18 Sunday | ジャムパン買って来い。今すぐ。 | comments(0) | -
右で左で縦で横
■音楽を作るにあたり、大雑把に分けて時間の流れを横から見る方法と縦に見る方法があるな、と思った。

■パソコンの波形編集ソフトなんかで打ち込んでいくのは横から見る方法だと思っている。ひとつの利点として、左から右に流れて行く時間軸をパッと見渡して、ココからココまでがこういうパターン、ココでこう変化していて、ココから先は云々、というのが簡単に把握出来る事。4小節作ればあとの十何小節をコピー&ペーストで3秒で埋める事も出来るし、切り貼りも簡単に出来るし、極端な話イントロとアウトロをほぼ同時に調整する事だって出来る。実際に音が流れる時間と、作業をする時間の間の関係がプツッと切れている感じ、が「ヨコ型」だと思う。

■この方法で作ると、細部まで正確な作りは出来る。が、全体の流れが一目でパッと見渡せる分、例えば「ああ、もう6分になってら…」と思うと気持ちが終わらせるムードになったり、「見たカンジの長さ」というのがあるので、何かの弾みで予定調和的な仕上がりに向かってしまう部分は少なからずあると思う。瞬間の閃きが瞬間で形にならない不利さもある(ふと浮かんだベースラインを打ち込む為の所要時間は、閃いた時に頭の中で再生された時間の何倍にあたるのか)。1秒が1秒で出来ない、その代わり30秒が3秒で出来たりもする。これは「横から見る方法」の利点であり弱点だ。

■今年アナログをリリースしたDJ Scan氏のトラックは、「横から見る方法」の特性を上手く武器にしている例のひとつではないかと思う。上手く言えないけれど、1秒を1秒で作るのとは違う、一定の時間が掛かって何層かに重なった濃い1秒が集まって、ひとつのグルーヴを作って行くような感じだ。彼のトラックが独特のトリップ感を持っているのは、一瞬一瞬が時間の層になっているからなのではないか、と勝手に思っている。うーん、何ていうか、すごい。

■で、「縦に見る方法」というのは、同じ時間軸の上で音を体験しながら作っていく方法の事。…その最たるものは全編ライブ録音、っつーかライブ、という事だけれど、サンプラーでのトラック作りは、波形編集、DTMよりは多少コッチ寄りなのではないかと勝手に想像している。パッド叩いたりとか、やった事ないから知らないけれど(…ひょっとしたら違うかも知れない)。「縦」の利点は、さっきも書いたけれど、瞬間の閃き、という事に尽きると思う。演奏するなり何なりした2秒がそのまま2秒になる、という事は、空気感を引き締めたり、あるいは程好く緩めたりもする。

■「作り出される時の生の質感」、インストゥルメンツの埃っぽい手触り…が、いつかもし完全に消えうせる時代が到来するとしても、聴き手とのコンタクトはアナログな処で起こる出来事であり続ける、と思いたいし、そこがアナログではない世界での「音楽」の事は上手く想像出来ない。ので、そういう前提で結論してしまうのだけれど、時間を横から見て煮詰めて行くScan氏のようなアーティストを見ていると、音楽は手軽になっただけじゃないんだぜ!というのは、どんなに強調してもし過ぎる事はない!という風に思ったりする。よ。

■相撲だかボクシングだか知らないけど、意気消沈してれば済むと思ってるスポーツ選手どもが不愉快でたまらないぜハニィ。


文:歪R
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2007.10.18 Thursday | ジャムパン買って来い。今すぐ。 | comments(0) | -
イカによるハカイ
■Makkenzのアルバム"白くなる時刻"は、日本語ラップ的に何かのターニングポイントではないし、むしろ彼の中で「ヒップホップ」とか「ラップ」が自分のアートに何か関係のあるものなのかさえ疑わしい(実際厳密にはあるのだろうけれど)ので、COMPASSでもレビューする作品の候補には挙がったものの、結局他に誰も希望者が見つからず没になってしまった。個人的にはテーマレビューで適当なテーマに当て込んで掲載するのもあまり気が進まず、コラムの枠でもう少し拡大してお届けしようと考えた次第。

■今作ではトラックも本人が手掛けており、前作以上に濃密な悪夢が展開されるのかと思いきや、1曲目"ボート漕ぎの老人と王子"が始まった瞬間にそのスケッチの饒舌さに唖然とした。切り取られた得体の知れないメロディがループする中に響く低体温のラップ…ともすれば無味乾燥な前衛ゲージュツに陥りがちなアートフォームだが、そんな中でMakkenzの詩と甘ったるい声が醸し出す世界観の芳醇さは奇跡だ。

■「『言葉にならない』ものを表現する」という狙いがあったと語るMakkenzは、しかしやはり言葉を使う。カラスが当たり前のように黄色かったりする不思議な不思議な詩世界は、Makkenzの声を通して映像となり、私たちがいつの間にか惰性で結び付けてしまっていた〈言葉とイメージ〉を次々と切り離して行く。それは「異化による破壊」だと思った。言葉の裏側に何かを解読しようと身構えて聴き始め、「あ〜、何つーかもう、いいやぁー」と力を抜いて、流れてくる音と言葉にだら〜んと身を委ねた瞬間に、何かが崩れ落ちる。

■それにしてもMakkenzはいい声をしていると思う。一般的に言われる良い声質とか、豊かな声質(例えばDaboやHungerみたいな)ではないが、それが少しだけ舌足らずなラップと相俟って醸し出す独特の温度感は、こういうリリックを淡々と歌い上げるのには向いていると思う。彼があの声で「そこに突然テレビ局のクルーが現れた」と云えば、頭の中にふっとその映像が立ち上がる。そういう声だ。

■そんな彼が、13曲目"Crazy Shibuya"で恵比寿・渋谷間にひょこっと出没してしまう。タキラス、宇宙熊、ゴリラ、不発弾処理その他、をこの一曲で、この「東京」という街と結びつけてしまう事は、とても暴力的というか、破壊的な行為だという印象を持った。もしも"Crazy Shibuya"が、もっと聴き手を選ぶようなえげつない曲だったなら、彼の言葉を、私達の生活とは別次元の処で成り立っているひとつのメルヘンとして捉える事も出来たかも知れない。しかし、サビで「久しぶり、ああ、じゃあまた」と歌うこの曲の詩世界だけは、なぜか紛れもなく私達の生活と地続きの処にある様に見え、あらゆる音楽や芸術に対して不謹慎な態度でしか臨めなかった私のような人間にとって、その事はなかなかの打撃だった。Makkenzと彼の紡いだ言葉たちは、この東京という街に繋がっていたのだ。

■「Makkenzは東京の空気感を伝えようとしている」というレビューもどこかで見かけた。確かにそうなのかも知れない。この作品は、東京に住んでいて見た気になっているその街の景色を、唐突なカットでひとつずつぶち壊して、真っ白にして行く。その先に、あなたが何か新鮮な驚きを感じる事が出来れば、"白くなる時刻"と題されたこのアルバムは、実は果てしなくポジティブな作品だと言えるのかも。



文:歪R
(http://blog119.fc2.com/wanir/)
2007.09.18 Tuesday | ジャムパン買って来い。今すぐ。 | comments(0) | -
夏の特大レビュー的な、何か。
Nitro Microphone Undergroundの"Straight From The Underground"の話である。

何を隠そう真性ニトロ厨である。というのはスタッフブログでも何度か公言しているけれど、COMPASSライター陣の中ではナンバーワンのニトロ厨だと自負している。だから思った。セカンドの話がしたくてたまらない。だが、オレのこのニトロ魂はテーマレビューなんかの枠ではぜってぇ収まんねぇ。という事で、コラムのスペースを使ってセカンド・アルバムについてビシビシ語ってみようと思い立ち執筆に至る。

■中学生の時、S-WORDが何かのインタビューで口にしていた、「俺はヒップホップに生活感を感じちゃったんだよね」という言葉を「何となくカッケェー!!」と思って、この間から何となくその言葉を反芻しているため、最近レビューなどにも出てきまくる訳である。

■ちょっと前、「曲の向こうにそいつのライフスタイル、現実の核が見えないものはヒップホップじゃない」と言ったラッパーがいた気がする。きっとそういう人にニトロは鼻で笑われがちなんだろうけれど、ライフスタイルを「いかにもライフスタイルっぽいモノ」とか、「生活臭漂うモノ」にしか見ないのも如何なものかとは思う。自分の思う「生活」っぽさを投影したいだけなんだとすればあまりに滑稽な言い分だし、それで《ヒップホップ》を定義しようだなんて、ねぇ…。USでマスタリングがてら買い物、12箱ものダンボールを日本に送らせたMC集団が、生活感なんて、ねぇ…。

■最近は、この無機質でバキバキな2ndアルバムも、よーく聴いていると、ある意味「生活感」のアルバムに聴こえなくもない。中でも、マッカチンのイナタいビートが冴える"Thrill Flight"が大好きだ。「映画の続きが見てぇだけ!」というSUIKENのラインは何度聴いてもニヤっとする。いくら何でも「自家用ジャンボ」はフィクションであるにしろ、国際線の空港だとか、機内の空気だとかは、彼らにとって普通に生活に染み付いているモノなのではないか?それならば、生まれ育った街だとか「フッド」だとかの事を歌うよりも、ヒコーキの事を歌っている方が、彼らにとっての「現実の核」を見せているのではないか?と。他にも"Straight From The Underground"、"Highest Floor"、"10%無理"、"ナイバビFive"辺りは判りやすくそれが滲み出ているし、その他の楽曲も、リリックはただの言葉遊びであるにしても、「響きのカッコ良さ」「思い切りの良さ」だけで済ませるのは勿体無いような魅力がある。

■重要なのは、ニトロの音楽に何らかの生活感が感じられるとして、それが意図されたものでなく、クールである事、ドープである事を追求した結果滲み出てしまっている、ということだ。

■1999年から2000年。ファーストアルバム "Nitro Microphone Underground" で東京に出没した根無し草的フンイキの8MCは日本語ラップ界に衝撃を与えた…と、言われている。勿論日本語ラップ的にクラシックだったのは事実だが、必ずしもニトロとしての最良の解答ではないのかも知れないという気がしている。あの作品はファーストなのであって、ひとつの事件として発生する事に意義があった。要するに、ファーストは「ペイジャーと雷の子供」たちがゾロゾロ集まった瞬間に出来上がったアルバムなのであって、そこには必ずしもニトロとしてのビジョンが収められている訳ではない。

■途中 "Nitrich" "Uprising" などを挟み、2004年にセカンドは完成。第一章から第二章までの4年間でメンバーはそれぞれ怒涛のように活動していた。ソロ・客演ともに物凄い枚数・曲数だ。当初「ペイジャーと雷の子供」として受けたパワーをがむしゃらに放電していただけの彼らだが、セカンドはニトロとして、ニトロのヒップホップをアルバム単位で見せなければならない最初の戦いだったと言えると思う。

■ニトロのアルバムが出る少し前の春に、雷家族のアルバムがリリースされた。2000年代急激に日本のヒップホップが洗練されてゆく中でリスナーが求めていた土臭さを、先輩達の底力で懸命にパッケージしようとした "330 more answer no question" は、のちに発売されるニトロと好対照をなす作品だったと思っている。新星堂と手を組んでの怒涛のプロモーションなどでポップス層にも大きくアプローチしたニトロに掛かった期待は、雷家族のそれとは別の種類のものだったのだろうけれど、しかしそれでも、衒いという衒いを全て捨て去って新たなフル・アルバムを作り上げたこの英断が評価されづらいのは、歯痒い。

■ライブ(もしくはライブ映像)を見て判る通り、彼らは勿論ラッパーとしてテクニシャンな訳ではない。だから、作品のシンプルさが圧倒的なスキルに裏打ちされていたりはしない。が、完成した楽曲は、「ニトロのセカンドとしてこれ以上の正解があるのか!?」と思うほど芯の強いものだと思う。恐らく彼らは、ニトロの作品を最高にクール&ドープなものにする、ということ意外は眼中になかったのだと思う。そんな中で"Thrill Flight"のような曲が出来てしまったのならば、あの時のS-WORDの言葉は、やっぱり死ぬほど格好良い台詞だったのだと思う。「俺はヒップホップに生活感を感じちゃったんだよね」…彼がその当時口にした「生活」と今の「生活」はまるで違う筈だけれど、今でもS-WORDがそれを感じているかどうか、気になる処だ。

※9月12日修正



文:歪R
2007.08.13 Monday | ジャムパン買って来い。今すぐ。 | comments(0) | -
ILL SLANG BLOW'KERを聴いての感想
"ハレンチ☆日本語ラップ学園"の内容があまりハレンチ☆じゃなくて少しガッカリしたエッチな読者の皆様(ボクもです!)こんにちは!歪Rです。ひどく、間が空いてしまいました。

■最近、ようやくIll Slang Blow'kerのCDRを聴く事が出来た。福岡を出発し、ツアーをしている間にメンバーが散って行き、東京に着く頃にはBIG FACEとFREEZだけになっていたという(注1)このグループの事を知ったのは2年前ぐらい。その時このCDRはもう既にどこにも売っていなかったので、《WE NODへの再入荷》だけが頼みの綱だったのだけれど、大学で奇跡的に彼らの直接の友人と出会い、後にAZZUROがマスタリングを施して再発する事となったこの名盤に、ようやく辿り着く事が出来た。SBTA君ありがとう。

■4MCのラップは必ずしもハイスキルとは言えないだろうし、ジャズのレコードを掛けっ放しにした『B IN 親不孝』以外は、音がキャッチーな訳でもない。それでもきっと、このEPに魅力を感じたのは、低音質萌えの捻くれたデモ音源フェチだけじゃないのだろう。

■ラップが上手い人はいくらでもいる。ハイクオリティなヒップホップ・アルバムを作れるラッパーも沢山いる。ムラが無く、均整の取れた栄養価の高いトラック。的確に自分の歌うべきトピックを見極め、真摯に綴られたラップ達。要所要所に花を添えるフィーチャリング勢。平均レベルが上がって、そういう事が当たり前になったからこそ、浮き出てくる《予定調和》とか《妥協》というコトバ。身の程を弁え、上手い着地点を見つけた時点で終了している寂しさ。

■それがイルスラングのEPには無かった。と、比較するのも実は変な話で、なぜなら、そもそもこのEPには、隙間やムラが沢山ある。とにかくフットワークの軽いYURAのラップは小気味良く聴きやすいが、BIG FACEが途中でリズムを脱線する事とか、FREEZの声が前に響かずよく聴き取れない事とか、"One On One"のNUFFTYのリリックがあまりに無防備だとか、「隙」の箇所を挙げればキリが無い。

■しかしよく見るとその「隙」ひとつひとつに、「生活感」という切り離せないピースが嵌っている気がするのは、この盤が店で買ったものじゃなく、友人伝いで僕の耳に届いたものだからだろうか?「ツアーが終わる頃にはリヴィング・レジェンズみたいになってるつもりだった」(注2)というパンチラインをインタビューで残していた彼らの日本語によるラップは、どんな成功者が「未来は暗くない」と歌うよりも夢を見れるし、活き活きしていると思った。

注1・注2:磯部涼“ヒーローはいつだって君をがっかりさせる”参照。



文:歪R
2007.07.18 Wednesday | ジャムパン買って来い。今すぐ。 | comments(0) | -
被差別人種じゃあるまいし!
コラムを書かせて頂く事になりました。タイトルの引用元は凄く細かい処なので説明を省きます。もっとお洒落なタイトルが多いと思っていたので裏をかいた訳ですが、フタを開けたら連載コラムという連載コラムのタイトルが裏をかいていた。大丈夫なのかCOMPASS。


■私自身日本語ラップに何らかの共感を覚える部分があってCOMPASSに微力ながら協力させて頂いているのだけれど、時折本WEBマガ上でも垣間見える、面白いものを無理矢理日本語ラップから探して来ようとする姿勢には、個人的にあまり共感できない。日本語ラップが面白いから聴いている筈なのに、そういう逆転現象がいかにもモラリスティックな調子で語られるのは、意味が判らない。最近まで神経質なくらいに「シーン」という言葉を嫌って文章を書いてきたけれど、ジツゾンだか何だかを日本語ラップ云々に規定されるのはまっぴら御免だ、という風には思っている。

■「日本語ラップにも色々ある」というのは勿論そうだろうけれど、私はそんな事は知らない。色々なものが生まれてきているからこそ、「多様性を理解して冷静に物を言え」と主張する不自由な感性は、その時点で既に時流に適応出来ていない。それ以前に対話の必要性があるのかどうかすら疑わしい。

■これを読んでいる方々一人一人が今まで日本語ラップとどんな風に付き合ってきたかは知らないけれど、「日本語ラップ」というこの軽快な響きのもと、あなた個人の嗜好は犠牲にされていないですか?ここCOMPASSは日本語ラップを扱うページでしかない。「私達の場所」、「あなたの場所」、「ヤツらの場所」ではない。日本語ラップを楽しむためのページであって、日本語ラップ・リスナーである事に規定されている後ろめたさを解消するためのバイブルではない。あるべきでない。

■「自分の好きなものを曲げない」…というのは、二通りの意味で解釈出来ると思う。日本語ラップはあなたの好きな音楽で、あなたの好きな音楽は日本語ラップ…ここに案外気づきにくいカラクリがあると思う。以前、まだこのページの「スタッフ一覧」に、ライター陣の自己紹介という、非常にのほほんとしたモノがあった時に、「Never distort something you like, never stop distorting something as you like」というスローガンを掲げてみた。誰にとっても無視できない問題じゃないでしょうか。


文:歪R
2007.05.19 Saturday | ジャムパン買って来い。今すぐ。 | comments(0) | -